カワイイは、バルス

うちの子ども(2歳8カ月)はよく嫁に「カワイイ」と言います。

言われた嫁はまあ、そりゃあまあキャー! なんて喜び庭駆けまわり子どもを揉みくちゃにするわけでして、当の子どももエヘヘ……みたいな顔をしてされるがまま、僕はそれを歯を磨きながら見ている、という構図がしょっちゅう繰り広げられています。

でもね、言いたい。一つだけ言いたい。こいつ多分嫁のことを、かわいいとは思っていないんですよ。全然。全くもって。

それは不美人だと思っているということではなくて、単に「かわいい」という言葉の意味を理解していない、という意味で。これまでのこいつの行動を一番近くで観察してきた人間のひとりである僕の独断と偏見において、そうだと断言できる。他人の「かわいいかどうか」を判断する能力を、まだこいつは保持するに至っていない、と思う。

ではなぜ「カワイイ」と言うか。それはきっと、嫁が喜ぶからです。もう少し言うと、嫁が喜ぶことが、自分にとって望ましい結果だから。それを引き起こすために、奴はカワイイと言う。

なんだかよく分からないけど唱えると望ましい状況が目の前に現れる魔法の言葉、それが「カワイイ」なんですね。彼にとって。「バルス」みたいだな。「テクマクマヤコン」でもいい。言葉そのものの意味合いよりも、それによって引き起こされる事象の方が劇的であるという点において、「カワイイは、バルス」であると言えるでしょう。

ですから逆に、「バルス」って子どもが言ったら僕がめちゃめちゃ甘やかす、みたいなことを何度も何度も繰り返したらどうなるか。そのうちあいつは僕を見るたび「バルス!」って叫ぶようになるはず。そういった状況を作り出すことも可能です。やつの習性を逆手にとり、そういった状況を作り出すことも理論上は可能。「バルス!」「よーしよしよし!」みたいな。そんな父子は嫌だ。

とまあ、そういう主観を伴わない、呪文としての「カワイイ」を使いはじめた子どもですけれども、なにも「心にもないことを言っていやがる!」なんて否定的に評価しているわけではなくて、これも言葉を獲得していく上での大切なステップなんだろうという認識をしております。弊社はそう考えます。自分がどう思うかだけじゃなく、その言葉が、相手にどういう変化をもたらすか。言葉の力、みたいなものを無自覚的に習得している状態なんでしょうね。

あ、ちなみにこないだ子どもは「オトウチャン、カッコヨクナイ」って言ってました。ちょっとお父さん何言ってるか分からないな。