ある老人の回顧


 私は十分生きました。これまで生きてきたうちには楽しいことも辛いことも、たくさんあったように思います。そんな思い出たちが、つい昨日のことのように思い出されるのです。私も、歳を取ったのかも知れません。


 私には産みの親がありません。こんなことを言うと、憐れんだお気持ちで私の話を聞いて下さる方があるかもしれません。ですが、決してそうではないのです。産みの親はついに分からずじまいでしたが、私は、誰よりも大きな愛情を持って育てられたのですから。私を育ててくれた夫婦は、裕福ではありませんでしたが、私を優しく大きな愛で包み、そのおかげで、私はのびのびと成長することができました。私の名前も、その夫婦が付けて下さったのですよ。


 親元を離れ、その身ひとつで仕事へ出た時には部下にも恵まれました。ある者は忠実で、私の懐刀となりました。ある者はとても知恵働きがよく、彼の機転で事なきを得ることもしばしばでした。そしてある者は行動力に優れ、誰よりも早く私の元へ情報を届けてくれたのでした。彼らは優秀でしたから、もちろん賞与は応分に与えることになります。いえ、彼らの働きは、常にそれ以上だったと言えるでしょう。そして彼らと共に、私は事を成し遂げました。そうして小さいながらも財を成し、今の今まで暮らすことができたのです。


 今はもう誰も知る方もありませんが、当時はそれはそれはもてはやされたものでした。私の成したことは、それだけ大きなことだったのです。誰もが願い、誰もが出来なかったそのことを、私は成し遂げることができたからです。こんなことを言うと自慢に聞こえてしまうかもしれませんね。その通りなのです。私は、とても誇らしいのです。自分の力が誇らしいのではありません。家族に恵まれ、部下に恵まれた、私の来し方を、それを誇らしいと、この歳になってもなお強く思うのです。あなたも、私の名前など聞いてもお分かりにはならないでしょうね。あなたがたにとってはもう、昔々の話なのですから。