鬼が笑う

 「おい」


 その声で僕は飛び起きる。眠い目をこすりながら体を起こすと、そこには赤鬼が居た。


「ちょっと今からステージ立ってもらうから。なんか今年の人、1人ダメになったらしくて」


 状況が飲み込めないまま赤鬼の運転するバンへ乗り込む。どうやら宴会で漫才をする予定だった人が、体調を崩してしまったらしい。するとその御鉢が、僕に回ってきたということか。

 少し補足すると、ここ地獄では毎年お盆前のこの時期、鬼が宴会を開く。その余興として地獄の住人の何人かがステージに上がることになっているのだけれど…。


「いや、でも僕の番は来年でしたよね…」

「ハハハ! まあ頼むよ! いけるいける! ハハハ!」


 なぜか上機嫌な赤鬼とは対照的に、僕の心はどんどん沈んでいく。鬼たちの機嫌を損ねたらどんな仕打ちが待っているか、容易に想像できたからだ。そして僕には何も準備がない。なにより寝起きなのだ。今朝の朝食だってまだ決めていなかったというのに。

 会場には30分程で着き、楽屋で待たされる。出番まではかなり時間があったが、緊張と動揺で、砂が落ちるように時は過ぎていった。


 そして僕に声が掛かる。半ば強引に舞台袖から押し出され、居並ぶ鬼たちの前に晒される。視線とスポットライトが熱い。


「あの…すみません、今日は急なお話で…全然準備とかしてなくて…その…あの…」

「いいから早くやれ!」


客席から容赦なく怒号が飛んで、僕に当たる。口から飛び出しそうになる心臓をぐっと抑えながら、必死になって声を絞り出す。


「…すみません! 僕本当は来年だったんです…、だから来年! 来年こそは頑張りますから!」


 会場がしん、と静まり返る。目を丸くした鬼たちが一瞬、顔を見合わせる。僕は、何かまずいことを言ってしまったのだろうか。



 その直後だった。静寂を切り裂き、鬼たちの野太い笑い声と喝采が会場を包み込んだのは。