ツクツクボーシが聞こえない

夏の終わりを告げるツクツクボーシの鳴き声を、今年はまだ聞いていない。

今年の夏はまだ終わらないということなのかな。それともはじめから夏なんて来ていなかったんだろうか。そう言えば仙台は梅雨明けもしていないんだった。

いや、まさかとは思うのだけども、ツクツクボーシがこの世から姿を消してしまった、ということはあるまいな。


連綿と続く日常にあって、在るのが当たり前だった何かが突然消える、ということは時たま起こる。当たり前のように僕たちの生活の一部を形作っていて、それこそ空気のように、存在を意識しないほど近しく存在していたものが、ある時忽然と消える、そういうことがある。


横断歩道の縦線は、ある日を境に、横線だけを残して姿を消した。携帯電話のアンテナも、自分の不必要さにふと気づいてしまったかのように、ひっそりと居なくなった。

それが去った後も、日常は絶えず流れ続ける。あたかも、そんなものははじめから存在していなかったかのように。



ツクツクボーシ。ツクツクボーシはいるか。僕は君の声が聞きたい。