僕は予備校で働いていた

ちょっと昔の話をしましょうか。

twitterでも何回か言及したことがあるんですけど、僕は予備校で働いていたことがあります。働いてたといっても講師じゃなくって、単なる大学生のアルバイトなんですが、休み時間の合間に教室に現れて話をする(受験の体験談とか大学生活はこんなに楽しいぜ!みたいなこと)お兄さんお姉さん役といった風情でありました。

実際には個別指導の講師をやったり試験監督をやったりと、その予備校で色んな仕事を掛け持ちしたりはしていたのですが、まあ、概ねそんなところでありまして、大学1年から4年まで、ずっと続けました。おかげでそこの職員の人とは今なお交流がありますし、4年間のバイト代で車を買うことができ(チャイルドシートも付けて現役で頑張っています)、なんと今の嫁も(前の嫁がいるわけではない)そこで見つけることができたりなんかしまして本当に願ったり叶ったりなんですが、ただ一つ、あのー、飲みが酷かった。

アホな大学生にお金を預けたらそりゃあやることは一つなわけで、飲むわけで、お酒を、飲むわけでして、それはある程度仕方のないことだったのかも知れませんが、本当に本当に酷かった。その酷さを克明に描写することは致しませんが、端的に言うと予備校近くの養老乃瀧が、バイトやめる頃には二階建てになっていた。大学1年の頃は平屋だった養老が、僕が卒業する頃には、二階建てになっておりました。厳密に言えばその設備投資と僕たちの貢献との因果関係を明確に証明することはできませんが、今でもそれは語り草となっています。「ワシが養老を育てた」みたいなね。そういうことを、お互い妻子持ちになった今もなお、再会した折には甘美な記憶として語り合ったりするのです。

まあすっごい飲む世代は僕らくらいまでだったので、僕らがいなくなったらそのバイトは健全極まりないものに戻ったそうです。あとその養老は潰れました。