働きたくない

 働きたくない!

 いやー、働きたくないですね。ええ、働きたいか働きたくないかで言えば、働きたくない。いえ、そんな設問など意味をなさないほど根源的に、僕は心の底から、働きたくない。

 そもそも、働くことの意味なんて何があるというのでしょう。お金ですね。労働の対価としての、賃金ですね。働くことの意味はありました。すみません。ちょっと興奮しすぎました。

 いやしかし、なればこそ、ですけど、働きたくないんです。働きたい人間なんて、この世にいないんじゃないか。

 つまりこの世には、二種類の人間が居ると言えましょう。働きたくない人間と、働きたいと勘違いをした、働きたくない人間です。リクルートスーツを着て、野山を駆け巡っている就活生たちは、早く目を覚ますべきです。働きたい、働きたい、御社でぜひとも働きたい。そんなものは妄想です。君は働きたくないんだ。それは間違いのないことだ。そうだよ。君は本当は働きたくないんだ。目を覚ますとよい。あと野山を駆け巡っても説明会は開催されないので、そこはちゃんとWEBでチェックするとよい。

 なんでしたっけ、ああ、働きたくない話。そうですね、この働きたくない気持ちを、労働に転化することができたらどんなに素晴らしいか、そう夢想することはあります。ありますが、そんなことは、既にやっている。働きたくないから、働くのです。卵が先か、鶏が先か。議論を待つまでもなく、働きたくない気持ちが、先にあってしかるべきです。

 人は、働きたくない生き物です。働きたくないがため、蒸気機関を作り、産業を革命し、ロボットは生まれた。労働の効率化。それは何のためか。働かなくてもすむ、夢の生活のためではありませんか。最小限の人数で、最大限の仕事を。我々の技術革新の方向は、全てそこに収れんすると言ってよい。そうして余った人たちで、ドッジボールをしよう。なわとびでもいい。