寂びついた聖域の話

 昨日、久々に実家に帰った。うちの実家は本当にド田舎で、公会堂の掲示板には分かるような分からないような妙な標語が貼られていたり、「学童注意!」って立て看板が山の中にぽつねんとあったりして、まあ、そういった感じのところです。


 そんな実家の近所に、錆び付いた望楼がありまして。火の見櫓と呼ばれたりもする、最上段に半鐘を備えた鉄塔で、どこの田舎にもあるアレだけれども久々にお目にかかった。昔はもう少しペンキの赤が鮮やかだったような気もするし、そうでなかった気もするけど、とにかくそいつは昔と変わらずに立っていた。


 そもそもこの望楼、誰が使うのかずっと分からずにいる。昔は消防団が火事をいち早く発見するために使ったのだろうけど、今となってはずいぶんのんびりしているなあと思う。実際は全然使ってなくて、単に予算がないから壊せずにいるだけかな、と当て推量をしてみるけれど、実際のところはどうなんだろう。分からない。


 大人になっても判然としないのだから、子供の頃はもっと訳が分からなかった。近所で一番高い建物というだけでも気になるのに、形もヘンテコで、しかも誰が使うわけでもない。そのくせ子供は登っちゃイカンと言われるし、とにかく謎に満ち溢れていた。そして上にある鐘。気になる! 鳴らしたい! いったいあの鐘は誰が鳴らすんだろう。あなたですか。違いますか。


 まさにすべてが謎で、望楼は平凡な日常に降って湧いた、非日常そのものだった。今なら簡単に登って、ちょっとなら鐘も鳴らすことだってできてしまうぞ、と思ったりもしたけれど、なんとなくやめた。登ったら何かが崩れる気がした、というか本当に崩れそうな錆び具合だったというのもあるけど、なんだろう、この不思議さは登ったりしたら消えてしまいそうで、そっとしておきたかった。今度は写真を撮りにいく。