手放し運転をしないオトナ

 大人になると誰も自転車の手放し運転なんてしない。昔はこぞってやっていたのに。なぜしなくなるか、それは

  • 実行することで得られる価値(ドキドキ、達成感)
  • 転んだときに失われる実利的、社会的な価値

 前者が幼少期をピークに右肩下がりなのに対して、後者は逆に右肩上がりで、どこかで逆転する。そうすると手放し運転をしなくなるのだ、とふと考えた。

 子どもの時に持っていた何か大事なもの。それを成長の過程で失ってしまう不安は、誰しもが漠然と覚えるものだと思うけれど、「手放し運転をしなくなる」ことも、その顕著な例なのではないか。

 だから僕は今日、手放し運転をしました。あの日のドキドキを取り戻すために。人のいないところでね。

 そしたらどうだ、もうなんか、これは何というか、危ない。ふらふらして車道に出そうになったし…。離して1秒でハンドルを引っつかんだ。あぶねーマジこえー。自分の手放しスキルのなさに愕然とするわ。マジこえー。いや、昔はちゃんと出来たんだけど…。

 ということで、「大人が手放し運転しないのは、しないのではなくて、出来ないからである」という結論に至りました。俺の場合、失ったものはプライスレスなドキドキとかではなくて単に、平衡感覚とか運動機能だったらしい。