半袖納め

 嫁は今日も意気揚々と球場へ出かけて行った。部屋に一人、窓から外を見る。秋の日差しがいっぱいに溢れていて、部屋の中にも滔々と流れ込んできていた。あたたかい。今日か。今年のアレをやるのは今日か。

 「半袖納め」という儀式がある。初めて耳にされた方もあろうかと思うが、しかしその実はご想像のものと大きく異ならないと思う。夏を共に戦い抜いた半袖に対する感謝の気持ちを表すとともに、来る夏まで別れを告げる、端的に言えば半袖を着る最後の日のことである。極めて個人的な行事なので、俺はこれをする人を他に知らない。というか、今日作った。今日はその半袖納めをしめやかに執り行うべく、一人で出かけたのです。半袖で。切らしていたコーヒー豆を買うのが表向きの目的だ。

 決意を胸に外へ飛び出したは良いものの、とても寒くて驚いた。うひょう! 風が冷たい! そして風が強い。10月の仙台を舐めてはいけないと心底思った。見れば道行く老若男女は例外なく長袖じゃないか。半袖は俺一人だ。こりゃイカンさっさと帰ろう。早くも挫けそうになるがめげない。俺は豆を買いに行くのだ。そしてついでに半そでも納めるのだ。冷ややかな秋風と冷ややかな視線を一手に集める二の腕を揚々と振り、目当ての喫茶店に向かった。

 そういえば小学校の時、真冬でもずっと半袖だった同級生がいた。名前は思い出せないけれど、その印象はくっきり脳裏にこびりついている。雪が降ろうと台風が直撃しようと、どんな日でも彼は半袖だった。なぜ彼がそうしていたのか詳しくは知らない。親の教育方針だったかもしれないし、とても基礎代謝の高いお子だったのかも知れない。もしくは遊び半分で半袖納めを弄んだ報いだろうか。恐ろしい! 半袖神は荒ぶる八百万の神である。ゆめゆめ軽んじてはならない。


 そんな妄想に耽りながら到着した店のドアには、「臨時休業」の立て札があった。一瞬何が起きたのか理解できなかったけれども、俺のスーパーインテリジェント脳はすぐに事態を把握した。豆は買えない。半袖は寒い。あるのは残念な現実だけだ。把握できない方が幸せな現実というのもある。この半袖野郎! もう当分着てやらんからな! 少なくとも数ヶ月は着ないことを固く胸に誓い、かくして今年の半袖納めは終了したのである。