カブトムシの角

どうしてカブトムシには角があるのだろう。

長くて立派な角は、生活での不便は多いし、維持コストだって高い。いわば生きる上でのお荷物です。喧嘩に使うといっても、そんな争いをしないでメスを探した方が賢いような気がする。それでも彼らは雄々しく角を振りかざす。なぜあんな無駄でカッコいいものを持つのか。

それはカッコいいからです。

こんなお荷物を抱えていても、まだ俺はこんなに元気ですよ! だから俺と結婚したら強い子どもが残せますよ! というメスに対するアピールらしい。そういう解釈を養老孟司のエッセイで知った。

実用や効率を犠牲にすることで得られるものがある。

ときに俺の皮靴、これ最近買ったんですけど、まあカッコいいんですよ。オシャレ皮靴。非常にカッコよろしい。ちょっと買うのをためらうお値段だったけど、その背中をぐいと押すだけのカッコよさがあった。

でもこの靴には難点があって、やたらと滑りやすいのです。靴底が堅くて、すべっすべ。一方、職場の廊下は石やタイルなのでツルッツルです。すべっすべでツルッツルを歩いたら、そりゃあ、まあ、転ぶよ。自然の摂理じゃないか! そうそう転ばないにしても、毎日足を滑らせては肝を冷やしている。

でも俺は、この靴を履き続けます。実用性や効率性を犠牲にして、あえて犠牲にすることで、手に入るものがあると信じている。そう、この靴はカブトムシの角なのだ。この靴を履いて、不便さと引き換えにカッコよさを手にするのだ! これで職場でモテモテだ!


でも職場で転ぶのは、実際とてもカッコわるい。とてもカッコわるいです。僕は変な理屈をこねて、そこをあいまいにしようとしています。誤魔化されてはいけません。滑らない靴がいいに決まっている。