石巻での一人暮らしのこと

 少し長い昔話になりますが、僕は以前、石巻という土地で一人暮らしをしていたことがありました。


 そもそも、人生で一人暮らしをするのはそれが初めてでした。小学校から大学まで、幸運にも、ずっと実家から通える範囲だったのです。そのため社会に出るのと同時に、一人暮らしがスタートすることになりました。もちろん不安はありましたが、それよりなにより、社会にはばたく高揚感、生まれて初めて親元を離れる解放感、晴れがましさ、そういったもの前には、抱いた不安はあまりにも小さなものでした。僕は、独立したかったのです。


 引っ越しを終えた僕はまず、周囲を散策しました。歩いてすぐの通りにコンビニ、少し行くと郵便局と百円ショップがありました。さらにその先には生協の看板。その近くには、DVDショップもあります。申し分ありません。どうやら、生活していく分には不自由はしなさそうです。なにより、職場が近いところが気に入っていました。


 間取りは一部屋にキッチンが別、というものでしたが、一人で暮らすには十分と言ってよい広さでした。家具も揃っています。ここで僕の一人暮らしがはじま(中略)


 冬の寒さは想像を絶しました。使いもしないのに気取って買ったオリーブオイルが、蝋のように固まります。冷え切った体を温めようと風呂場へ行くと、湯船が凍っています。床の水滴も、落ちたその姿のまま、美しい氷の礫と化しているのでした。


 なにより、一人暮らしのはずが大量のダンゴムシと同居する羽目になったのが最大の誤算です。ベッドサイドで一匹見つけたのが入居2日目、次第に目撃例の報告は増え、玄関に大量の彼らを見つけたときの気持ちたるや、今思い出すだけでも、いえ思い出したくもありません。慌てて、見たくもない彼らの生態を調べ、薬品による駆除が効果的であること、プラスチックの壁面を上ることが難しいこと、甲殻類であること、世界最大の彼らの仲間の体長、など、様々な情報を仕入れては、適宜対処を行いました。彼らとの戦いは、この家を去る2年後まで続くこととなります。


 そんな我が家でしたが、女性を招き入れたこともあります。母親です。彼女は三週に一度の頻度で高速で3時間かけてやって来ては、レトルト食品を大量に投下していく、補給部隊のような働きをみせました。おかげで、僕は、毎日、本当に毎日、レトルトカレーを食べていました。味噌汁も食べたかもしれない。でも、本当に、よく飽きずに食べたものです。今ではもう多くても3か月に一度程度ですが、食べるたびに、あの日々を思い出します。


 もう一人、招き入れた女性として忘れてはならないのが、当時お付き合いしていた女性であり、現在の妻となった嫁であります。嫁はダンゴムシをたいそう嫌い(好む人もおりませんが)、石巻に来ることはほとんどありませんでした(毎週末に僕が仙台に通っていた、という事情も加味する必要はあります)。


 そんな彼女を一度だけ、石巻の家に招待する機会がありました。彼女の誕生日です。こちらに越してきて初めての、彼女の誕生日。それまではどこかで外食をするのが関の山でしたが、今年は違います。自由に使える、部屋がある。僕は燃えました。思い立った瞬間、近所の百円ショップへ走ると、HAPPY BIRTHDAYの垂れ幕とハート型風船を100個程購入し、寝る間も惜しんで膨らまし続けたのでした。



 当日、彼女を連れて部屋に入ると、彼女はとても喜んでくれました。実は彼女もずっと親元におり、部屋を好き放題やることに魅力を感じていた者の一人であったのです。あったのだと思います。よく分かりません。よく分かりませんが、あふれる風船(ハート型)にダイブし、蹴散らし、投げつけてくれました。喜んでいたのだろうか。実はこの風船には仕掛けがしてあり、四つだけ文字の書いてあるものを見つけ、それらを正しい順番に組み合わせることで誕生日プレゼントの場所が明らかになる、というものでした。全然見つけられなかったので、プレゼントは普通に渡しました。


 長々と、由のないことを書き連ねました。お読みくださり、ありがとうございます。さぞお疲れのことでしょう。僕も疲れてきたので、そろそろ終わりにします。


 さてこの家、実のところ、今はもうありません。先般の大震災による津波の被害を受け、一度更地になったのち、今は仮設住宅が建っているとのことです。近所のコンビニや百円ショップも、同様であったと聞いています。


 人生唯一の一人暮らしを過ごした場所として、とても愛着のあった建物でした。親元でぬくぬくと育った僕が社会に放り出された地で、僕を迎え入れてくれたのがこの家でした。書ききれないくらいの思い出があります。あるんだぜ。ただそれは全部僕の心にしまっておくとして、あの家はあっちの世界でも、色んな人を住まわせ、寒がらせ、ダンゴムシの影に怯えさせていれば良いなあ、とそう思っています。


 今まで、本当にお疲れ様でした。