死せる孔明

 昔実家で飼っていた猫に、人間の爪のにおいがたまらなく好き、という変わったのが居たんですけど、爪のにおい、というか、正確には、爪を切ったあとの、やすった時のにおい。なんかね、あるじゃないですか。焦げくさいような、あの。そのにおいをとても好んでいる猫がいて、嗅ぐともうマタタビを使ったみたいにゴロンゴロンと喉を鳴らして喜んでいました。


 しまいには、パチン、パチンと爪を切り始めると、その音を聞きつけて走り寄って来て、作業中の手に全身を擦り付けてくるものだから、迷惑この上ないというか、この、バカ猫! って部屋の外に追い出したり。爪が伸びると、いつもそいつの影に脅えながら爪を切っていたものです。や、脅えてはいないけど。いつも警戒はしていた。


 それで、その猫も数年前に立派に老衰で河を渡りまして、古い携帯のメモリの中にしか居なくなってしまったのだけれど、部屋で一人でパチン、パチンと爪を切っていると、今でも後ろから猛ダッシュでそいつが迫ってくるような気がして、ビクッ! とたまに警戒したりするのでした。


 死せる孔明は生ける仲達を走らせましたけど、うちの死せるバカ猫は自分で走ってくるんだなあ、と思った。おわり。